『押してばかりでは人がついてこない時もあるでしょうから。
ただ、その「引き」というのは消極性として見られるので、徳のようなものを身につけた指導者でないとなかなかできにくいと思います。
「引き」は戦略としても難しいですが、重要なことですね。
その「引く」をできる人は私は名人だと思っているんです。だから私も「引き」が好きで、小説でも引く人を主に取り上げています。
「楽毅」には「引き」と「押し」と両方書いてあると思いますが。
こういう発想は多分マキャベリからきていると思います。人間というのは幸福な時より、むしろ不遇の方が多い。その不遇のときというのは何もなさない時なんですね。その、なさない時の過ごし方が、結局はその人間が成功するかしないかの材料になる、というのがマキャベリの理論でして、何かをしている時の方が人間は楽なんですよ。
ではしない時に何をすべきか。それは一個人でも、企業でもそうですね。ですから中国的な思想からすれば、国でも企業でも、栄えている時が衰える始まりであるという言い方になってしまいます。』
これは、平岩外四さんと作家、宮城谷昌光さんとの対談の中でのお話の抜粋です。
「何かをしている方が人間は楽」…これは園田自身も随分と思い当たる節があります。(車騎星?、申酉?…)
そして「なさない時」をどう過ごすか、それを体得するのには長い時間と体験経験が必要だというふうに思います。(もう遅いかも……(・_・;))
「国でも企業でも、栄えている時が衰える始まりである」…このシンプルな一文、算命学の国家論にそのまま通じるところがあります。
それゆえに五種類の時代が、確実に10年ごとに回っていきます。
中国の歴史に詳しい宮城谷昌光氏が指摘されている点に算命学が重なることに感心しながら読ませていただきました。